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記事: ずいずいずっころばし?意外な本当の意味とお茶壷道中

ずいずいずっころばし?意外な本当の意味とお茶壷道中

ずいずいずっころばし?意外な本当の意味とお茶壷道中

お茶壺道中とは

お茶壺道中とは、江戸時代に宇治茶を徳川将軍家に献上するために行われていた、一大イベントのようなものです。

年に一度(四月下旬から五月上旬)、新茶の季節に「茶壺付添人」と呼ばれる人たちが、茶壺と共に江戸を出て、宇治で茶壺に茶を詰め、はるばる江戸まで東海道を練り歩いて持ち帰るという行事でした。


宇治採茶使と名付けた使者に茶壷を持たせ、徒歩頭と呼ばれる責任者を中心に、多い時には行列は千人を超え、運ばれる茶壷も百を超えたといいます。

この行事は、単に茶を運ぶだけでなく、当時の社会や文化を象徴するような側面を持っていました。

なぜお茶壺道中が行われたのか?

江戸幕府は、宇治茶を大変珍重しており、毎年新しい茶葉を将軍家に献上することを定めていました。

宇治茶は、その品質の高さから、将軍家だけでなく、大名や豪商など、社会の上層階級の人々に広く愛飲されていました。

お茶壺道中は、こうした宇治茶の地位の高さを象徴するものであり、同時に、幕府の権威を示すものでもあったのです。

お茶壺道中の様子

お茶壺道中の行列は、非常に盛大なものでした。

茶壺は丁寧に包装され、大切に扱われており、茶壺を運ぶ人たちは、特別な衣装を身につけ、道中では人々の注目を集めました。

お茶壷が通る沿道は、前もって改良・改修工事が命じられ、お茶壷が通るときには農作業や葬送も禁止。

事前に道の掃除をするように命令されていたほか、子供の戸口の出入りやたこあげ、煮炊きの煙が上がることすら禁じられていました。

そして、お茶壷道中に出会ったものは、大名であろうとも籠から降りて道を譲り、庶民は土下座を命じられたそうです。

お茶壺道中は、3代将軍家光の時から始まり、江戸時代を通じて続けられました。しかし、明治維新後、制度としての茶壺道中は廃止されました。

童謡「ずいずいずっころばし」歌詞の意味

童謡ずいずいずっころばしも、この「お茶壷道中」を題材にしたものだと考えられています。

大きな茶壺を運ぶ行列が人々の注目を集め、子どもたちがそれを歌にしたという説が有力です。

歌の歌詞にある「ずい」は、茶壺を担ぐ棒、「ずっころばし」は道中の様子を表しているとする解釈があります。

「茶壷に追われてとっぴんしゃん、抜けたらドインドコショ」とは、「お茶壷が来たら戸をぴしゃんと閉じて家にこもる、行列が抜けたらやれやれどんどこしょ」という意味なのだそうです。

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