お茶の歴史をさかのぼる!薬として愛されたお茶のルーツ
お茶の起源
お茶の発祥は、紀元前2700年頃。中国南西部地区における雲南省あたりであろうと推定されていますが、当初は味わいを楽しむ飲み物としてではなく、薬として飲用されていたそうです。
それを裏付ける証拠として、中国や日本の医薬書、茶書にはお茶の幅広い様々な効能についての多くの記述があります。
お茶の飲用は中国から始まり、世界中に広がっていきましたが、お茶の味わいや風味が人々を魅了したというだけでなく、お茶自体に優れた効能があったからこそ人々の日常の飲み物として普及したと考えられています。
神農と茶:不老不死の秘薬としての茶
実際に秦の始皇帝はお茶を「不老不死」の効果があるとして飲んでいたそうです。
それから時を経て、漢の時代に記されたとされる中国最古の医薬書「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」には、お茶に関して「茶味苦、飲之使人益思、少臥、軽身、明目」との記述があります。
これは、「お茶の味が苦いと、思考が深まり、睡眠不足でも体は軽くなる。視界もはっきりしている」との意味なのですが、歴史上初めて茶の薬効について語られたものとして有名です。
この書名にある「神農」とは、今から5000年ほど前に活躍したとされる皇帝の名前なのですが、神農は、草木の薬効を調べるために野山を駆け巡り、1日に72もの毒に当たったといいます。そのたびに茶葉を噛んで解毒したことから、お茶が薬効を持つことが知られるようになったという逸話が残されています。
これはあくまで神農にまつわる逸話ですから、その真偽のほどは定かではありませんが、これほど昔からお茶の健康効果が注目されていたということは確かなようです。
陸羽と茶経:お茶文化の礎を築く
お茶に関する最古の書物は、唐の時代760年頃に陸羽という人物が記した「茶経」です。
陸羽は唐代の中国文筆家で、茶の起源、栽培方法、製法、淹れ方、効能など、お茶に関するあらゆる知識を網羅した書物を完成させ、お茶文化の発展に大きく貢献しました。
いわば当時のお茶博士のような陸羽ですが、彼自身もこの書籍の中で、「茶の飲用は神農に発す」と述べ、神農がお茶の始祖であるとして、お茶の養生効果を高く評価しています。
ただ、当時のお茶は現代の私たちがよく見るものとは異なり、持ち運びやすいように「餅茶」と呼ばれる塊でした。飲む際にはこの塊を削って細かくし、煮出したものを飲んでいたようです。
日本への伝来と栄西の貢献
話を日本に移します。
お茶が最初に日本に伝わったのは、奈良時代のこと。最澄や空海らの遣唐使によって持ち帰られたのが始まりだとされています。
しかし、当時のお茶は、現在私たちが飲んでいるようなお茶とは全く異なり、先ほど述べた「餅茶」という、生茶を蒸して丸く餅状にした固形のものでした。当時のお茶は貴族や僧侶の間でのみ珍重されていたようです。
その後、日本における茶文化の礎を築いたのは、臨済宗の開祖として知られる栄西です。
栄西は、2度中国に渡り、禅宗を学びました。2度目の渡航となった1191年、帰国の際に茶の種子を持ち帰ったと言われています。当時、中国ではお茶はすでに嗜好品として広く楽しまれていましたが、日本ではまだあまり知られていませんでした。
茶文化の普及に尽力した栄西は、茶の効能や飲み方などを記した「喫茶養生記」を著しています。
この中で「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」と記しており、お茶の製茶法と飲茶法のほかお茶の効用についても記しています。
お茶の効能としては具体的に、「利水通便」「解毒」「消炎」「強壮」などが残されていますが、医学・薬学の知識がまだまだ乏しかった当時において、カフェインによる利尿作用やタンニン(カテキン)による抗菌・解毒作用、さらにはサポニンがもつ消炎・抗炎症作用をここまで端的に当てているのはまさに私たち人類の知恵ということなのでしょう。
科学的に認められているお茶の健康効果
お茶が薬効を持つという考えは、現代でも根強く残っています。
実際に、緑茶に含まれるカテキンには、抗酸化作用や抗菌作用などがあり、風邪予防や生活習慣病の予防に効果があると言われていますし、豊富に含まれているビタミン群には病気に対する抵抗力の増強や胃粘膜の保護機能などもあります。また、紅茶やウーロン茶にも、それぞれ異なる健康効果があることが分かっています。
さいごに
いかがでしたか。長い歴史を持ち、多くの文化を築いてきたお茶ですが、単に喉を潤すための飲み物としてでなく、その健康効果についてもはるか昔から知られていたことが分かります。
先人たちが積み上げてきた歴史や文化を知ることで、さらにお茶の味も効能も、深く味わうことができるのではないでしょうか。