history
山本山の歴史
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300年以上、お茶を販売し続けた山本山の軌跡
一、元禄三年(1690)からつづく歩み。
元禄三年、私たちは日本最古の煎茶商として創業したと伝えられております。永谷宗円(現在の永谷園の創業者の先祖)によって煎茶が発明され、それを最初に販売したのが山本嘉兵衛商店(現在の山本山)であったと、明治期の茶業通鑑に記されております。以来、脈々と煎茶の味を広めるべく、茶業を続けてまいりました。
二、脈々と受け継いできた伝統と革新
伝統を続けるとは変わり続けること。山本山は不易流行を重んじ、伝統を守りながら時代とともに新しい息吹を商品に吹き込んできました。初代による煎茶・六代による玉露・九代による海外展開など、伝統を守りながら今も革新を次世代に繋いでいます。
三、江戸の海苔のおはなし
江戸期に至るまで、海苔は庶民には手の届かない高級品でした。浅草のあたりで海苔が養殖できることが発見され、和紙の技術を応用して、現在のようなシート型の海苔が誕生し、後にあさくさのりと呼ばれるようになりました。山本山は江戸の当時、茶業のほかに和紙をつくることが生業でした。紙から海苔に変わっても、扱う技術と精神を受け継いでいます。
四、一手間を尽くす おもてなしの心
山本山が扱うお茶や海苔は、当たり前のように日本食の中にあるもの。それだけに、一手間の違いが最も出やすい食材なのです。熱湯をポットから注ぐのが当たり前の現代で、丁寧に温度を冷ましたお湯で入れる煎茶は格別です。一手間を惜しまず、相手のために尽くすこと。それが江戸の商家としての私たちのおもてなしの心です。
五、日本の文化を次世代にとどける
そして今、山本山は多くの方々にお茶や海苔をより知ってもらい、より味わってもらいたいという想いの下、これからもクオリティを追求し江戸の文化と味をお届けしていきます。
次の300年に向かう山本山を、何卒よろしくお願いいたします。
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歴史年表
初代嘉兵衛(山本氏)江戸出店、茶・紙類を商う
元文3年6月(1738)
山城国宇治田原郷湯屋谷の住人永谷宗七郎、青製の煎茶製造に成功 山本嘉兵衛その上品なるを認め、「天下一」の号を附して市販する
天明7年 春(1787)
日本橋二丁目都竜軒山本嘉兵衛、茶所として引札を出す
文化13年(1816)
この頃、山本家定目成る。一橋卿・幕府本丸御用茶師となる
文政13年(1830)
西御本丸・東叡山・御三卿(田安・一橋・清水)御茶御用を勤める
天保6年 春(1835)
六代嘉兵衛徳翁、宇治郷小倉の木下家において玉露茶を発明する この正月「煎茶小述」発行(徳潤著)
弘化3年正月15日(1846)
本郷丸山火事。白木屋と共に類焼
嘉永元年(1848)
「煎茶手引之種」(徳潤著)発行
安政2年 夏(1855)
「狂歌茶器財集」(徳翁著)発行
明治18年12月(1885)
東京府庁より茶業鑑札第二号を受ける
明治42年5月(1909)
「山本山」一斤(百六十匁)五十銭売、一日小売二千斤(約1200kg)と伝える
大正12年9月1日(1923)
関東大震災、倉庫七棟と共に全焼・深川支店も全焼
昭和16年5月(1941)
法人組織に改組。資本金三百万円・株式会社山本山と称す
昭和20年3月(1945)
東京大空襲・全焼
昭和21年10月(1946)
日本橋に二階建て店舗を建設
昭和22年(1947)
海苔の販売開始
昭和26年5月(1951)
山本山ビルディング建設
昭和38年5月(1963)
「日本茶ティーバッグ」発売
昭和41年(1966)
静岡工場建設
昭和45年(1970)
福岡支店・大阪支店・札幌支店・名古屋営業所 開設
昭和45年10月(1970)
ブラジル・サンパウロ州 現地法人設立
昭和48年(1973)
熊本工場建設
昭和50年9月(1975)
アメリカ・ロサンゼルス 現地法人設立
平成元年6月(1989)
仙台営業所 開設
平成2年3月(1990)
山本邦一郎 九代嘉兵衛襲名
平成2年5月(1990)
創業300年記念式典開催
平成10年7月(1998)
山本山ウェブサイト「心」開局
平成17年4月(2005)
山本山ウェブサイトリニューアル 通信販売開始
平成30年4月(2018)
商品パッケージリニューアル
平成30年6月(2018)
エノキアン協会入会
平成30年6月(2018)
山本山オフィシャルサイトリニューアル
平成30年9月(2018)
日本橋再開発で竣工した日本橋高島屋三井ビルディング11階に本社事務所を開設。 同ビル1階の中央通りに面する山本山創業の地に、「ふじヱ茶房」を開店。
令和5年8月(2023)
山本嘉一郎 十代嘉兵衛襲名
令和5年10月(2023)
山本奈未 代表取締役社長に就任