アメリカ独立と紅茶の関係|ボストン茶会事件の真相
はじめに
1773年12月16日、イギリスの北アメリカ植民地であったマサチューセッツ州ボストンで起きたボストン茶会事件は、アメリカ独立戦争の引き金となった重要な出来事です。
この事件は、イギリスによる過度な課税に対する植民地民の抵抗の象徴であり、アメリカ独立の歴史において重要な転換点となりました。
ボストン茶会事件が起きた背景
17世紀に、オランダの植民地だったニューネーデルランドから、アメリカにお茶がもたらされると、すぐに日常の飲み物として全土に広がりました。
ところが、海運国として勢力を拡大しつつあったイギリスとオランダが、お茶の商売利益をめぐって対立し、戦争にまで発展。
1664年にはイギリスがニューネーデルランドを奪い、ニューヨークとして統治下に置きました。その結果、アメリカへのお茶もイギリスの東インド会社から入ってくるようになりました。
しかし、このお茶がとんでもなく高値だったため、植民地の人々は猛反発。茶は、当時の植民地の人々にとって、日常的に消費される身近なものでした。
この生活必需品があまりにも高額で取引されていたことから、植民地民の生活は直接的に圧迫され、お茶の密輸も横行する事態に発展しました。
18世紀、慢性的な財政危機に陥っていたイギリス政府は、北アメリカ植民地に対して様々な税金を課していました。
その中でも特に問題となったのが、東インド会社が独占的に販売する茶への課税でした。これが植民地民の強い反発を招き、ボストンをはじめとする各地で不買運動が起こりました。
1773年12月16日。ボストンの民衆はボストン港に停泊中の東インド会社の船に忍び込み、積まれた茶箱を海に投げ捨てました。その箱の数は300以上ともいわれています。
この事件は「ボストン・ティーパーティー事件」と呼ばれ、アメリカ独立戦争の火種となりました。
ボストン茶会事件の影響
ボストン茶会事件は、イギリスとアメリカ植民地間の対立を激化させ、最終的にはアメリカ独立戦争へと発展しました。
この事件は、アメリカ独立の象徴的な出来事として、アメリカの歴史に深く刻み込まれています。