全然違う!東西の海苔文化に違いが生まれた理由とは?
はじめに
海苔の食べ方は地域によって大きく異なり、日本列島は、焼海苔(やきのり)と味付海苔(あじつけのり)で東西真っ二つに分かれ、異なる文化が根付いています。
焼海苔派・味付海苔派はそれぞれ、東日本と西日本のどちらだと思いますか?
東日本と西日本で大きな違い
ある調査会社が実施した、全国1万人を対象にした好みの海苔の調査結果は、東日本が「焼海苔」で、西日本が「味付海苔」でした。
かくゆう北陸出身の私も、“海苔”といえば味付海苔を真っ先に思い浮かべ、子供の頃から焼き海苔を食べる機会は少なかったです。
では、なぜ西日本では味付海苔が主流になっているのでしょうか?今回は、この両者の違いについて、詳しく解説していきます。
海苔といえば味付海苔!な西日本
関西では、味付海苔が日常的に食卓に上ります。
味付海苔は昆布やカツオなどのだし、砂糖、しょうゆ、みりんといった材料で味を付けした海苔です。
おにぎりを包むのはもちろんのこと、ご飯のお供として、あるいは様々な料理のトッピングとして幅広く利用されています。
実は現在のようにのりの養殖技術が確立され、庶民がのりを食べられるようになったのは、江戸時代の中期。
将軍に新鮮な海苔を献上するため、東京湾での養殖が始まったことがきっかけで、生産は品川や大森を中心とする東京湾が中心でした。
そのため、産地から遠い関西では当初、海苔を食べる習慣はあまりありませんでした。
味付海苔は明治天皇の手土産だった!
そこから大きなターニングポイントを作ったのが明治天皇です。
明治2年(1869年)、明治天皇が京都を訪れる際、東京土産として開発されたのが味付けのり。
明治天皇が京都に赴く際に、手土産として海苔をお持ちになることになりました。しかし、当時の交通手段は限られており、長旅の間、海苔が湿気てしまい、せっかくの風味が損なわれてしまうのではないかと心配されました。
そこで、長時間の移動にも耐え、風味を保つ海苔として、醤油やみりんを使って味付けした海苔が誕生しました。
明治天皇が手土産として持参された「味付け海苔」は、天皇の人気と、当時まだ珍しかった味付け海苔の斬新さから、地元で大きな話題となりました。
この出来事がきっかけとなり、関西地域でも味付け海苔が広く知られるようになり、定着。その後、九州等で海苔の産地が生まれ、西日本の海苔文化は発展していきました。
一方、関東の焼き海苔は、比較的手に入れやすかったことから、江戸時代には庶民が気軽に立ち食いできる江戸前寿司が発展。
当時から海苔は寿司の具材として利用されるようになっており、海苔本来の味や香りを楽しむことができる焼海苔が広く庶民にも親しまれるようになっていきます。
まとめ
いかがでしたか。関西と関東では、味付け海苔と焼き海苔というように、それぞれ異なる海苔文化が根付いています。これは、歴史的な背景や食文化の違いが複雑に絡み合った結果と言えるでしょう。
どちらが美味しいか、どちらが正しいというわけではなく、それぞれの地域で培われた食文化を楽しむことが大切です。