#01
夏目漱石「草枕」
皆さんはどんな時にお茶が飲みたくなりますか?
例えば読書の時間。ふいに登場したお茶の描写に、思わずごくりと唾を飲んだり。くつくつと炊かれるあんこを見ていると、熱いお茶が欲しくなったり。国内外の文学やエッセイ、映画や漫画、アート、音楽……。想像を膨らませ、思わずお茶が飲みたくなるとっておきの物語をお届けします。
濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落として味わって見るのは閑人適意の韻事である。
普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違いだ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液は殆どない。只馥郁たる匂が食道から胃のなかへ沁み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。
水はあまりに軽い。玉露に至っては濃かなる事、淡水の境を脱して、顎を疲らす程の硬さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
お茶好きで知られる文豪・夏目漱石。彼の作品にはたびたびお茶の描写が登場しますが、特に有名なのが小説『草枕』。近代化が進む世の中を憂い、「住みにくい」世の中を乗り越えようと旅に出た青年画家を主人公に、「非人情」の境地を描いた夏目漱石の初期の代表品です。
お茶関係の本でもよく引用されるのが、上記の一節。
主人公の青年画家が、とあるお寺で和尚らと共にお茶をいただく場面です。老人は「朱泥の急須」から、やや大ぶりの杢兵衛の茶碗に、「緑を含む琥珀色の玉液」を「三四滴」したたらす。障子にうつるのは鉢植えの葉蘭の影。
登場人物たちがただお茶を飲むという場面がなんとも優美に描かれ、美しく繊細なお茶の描写が、「一しずく」に凝縮された玉露のおいしさを見事に表現しています。
同時に漱石は、“凝縮した一滴を味わったら、それは全体を味わったことになる”という考えを持っていたといいます。すなわち、 “人生を長くだらだら味わうより、凝縮した時間、一滴を味わうほうがよい”という『草枕』に描かれた青年の思想にも通じるものがあります。
「閑人適意の韻事」とは、世俗の煩わしさから離れた人が、心ゆくまで楽しむ風流な遊びや行いを意味します。
小説『草枕』は、世の中の複雑さから距離を置き、「自分らしく生きる」ことの重要性を説き、漱石自身の芸術論や人生観を表現した作品といわれています。
かつてないほどの情報過多、共感という同調圧力に囲まれがちな現代社会です。ほっと一服、純粋な観察眼で世の中に向き合った青年画家に想いを馳せながら、凝縮された一滴の時間を味わってみてはいかなでしょうか。
夏目漱石の「草枕」
1906年に『新小説』に発表された初期の代表作。旅をする青年画家を主人公に「非人情」の世界を描いた小説。舞台となった「那古井温泉」は熊本県玉名市小天温泉がモデルといわれている。
今月選んだお茶は…
玉露「上喜撰」
うま味と甘みが程よいバランスの玉露です。まろやかさを残しつつ玉露ならではの香りが楽しめます。袋入のお茶を和紙の包み袋でお包みしておりますので、プチギフト、手土産、お返しなどにもお使いいただけます。

